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2021年4月19日

KINGS MEETING(TUE)
〜BACK TO LIVEHOUSE〜 vol.15
2021.04.13
BLUE ENCOUNT
田邊駿一❼

「STAY HOPE」について

昨年7月、
同タイトルの配信ワンマンライブを
思い出の地である
渋谷TSUTAYA O-WESTで実施。
当時はまだ配信ライブという形は
意外と少なかったそう。

ライブのタイトルとしてまっさきに
挙がってきたのが
この"STAY HOPE"という造語でした。
コロナ禍でふさぎ込んでしまいそうな日々の中で
"希望を心に携え続けることの大切さ"
を伝えるための言葉です。

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実はこのライブの数日前に、
熊本に大豪雨の被害が。
球磨川という大きな川の氾濫の規模は
想像を絶するほどのものでした。

近しい人から、
被災の中心となった地の知人まで
いろいろな方向から状況を
聞き取っていたという田邊さん。
そんな中、東京での報道は
数日間で終わってしまっていました。

もちろん一方でコロナという脅威が
日本中を襲っていたのも事実ですが
「風化」の足音は近づいていました。
だからこそ、ワンマンライブの直後
メンバー・チームと話し合い
まずは 知ってもらう という支援を
熊本のためにしようと
動き出しました。

本来であれば現地に
赴きたいところではありましたが
コロナの状況も鑑みて
リモートでのインタビューなどを重ね
10月には<PROJECT STAY HOPE>
という番組を7時間生放送。
全国の皆さんに向けて
熊本の現状を届けました。

今年2月ごろ、
実際に熊本に向かうと
いまもなお色濃く残る災害の爪痕に
言葉を失ってしまったそう。

まだなにも変わっていない
変われていない姿を見て。
これからも音楽を通して
かたちにして熊本に届け続ける
絶やすことない思いと支援を
改めて心に刻みました。

今後のBLUE ENCOUNTの
STAYHOPEを通じた動きを
お見逃しなく!

2021年4月16日

  

今回はコロナ禍でのライブについてお話ししていきました。

  

このコロナ禍でも勢力的にライブ活動を続けてきた

SIX LOUNGEとハルカミライ。

スタッフさんの協力がありながら、

集客人数も半分にしたりと感染防止対策を工夫して開催。

それでもお客さんが少なかったり、コロナ禍でのライブは

演奏にも影響したとのこと。

  

ヤマグチ『俺、相当食らいました。

お客さんのことをあまり気にしないで

演奏に集中していたバンドは

ライブの良し悪しに影響はないと思いますが、

俺、左右される時期があって

前半の方は難しかったですね。』

  

橋本 『俺たちもコロナ禍でのライブは不慣れで構えていたし、

来る人側の人も構えて観ていたから最初とかは・・・』

  

ヤマグチ『わかります。

がんじがらめみたいな感じがあったんですけど、

それが段々ほぐれてきた感じはありますね。』

  

ライブハウスも

感染防止対策が徹底されていると感じるお二人。

コロナ禍初期の頃にあった批判的なライブハウスへの声も

この一年でのライブハウスの工夫などにより

世間からも認められつつあるのではないかと

お話しされていました。

  

  

配信ライブも行ったSIX LOUNGE

ですがヤマグチさん自身、

納得のいく出来ではなかったとのこと。

YouTube上で3バンドでの対バンを配信された

ハルカミライ。

配信ならではの映像で、

配信も良いなと感じたそう。

  

また橋本さん、

札幌在住のバンドTHE BOYSGIRLS

北海道から配信で全国ツアーをされているのを

視聴されたそう。

配信ライブを工夫して行っていて、

面白かったとお話しされていました。

  

橋本 『カメラ越しや配信越しでは伝わらないことももちろんあるけど、

けどカッコいい人はかっこいいね。』

  

ヤマグチ『一番大事かもしれないですね。』

  

橋本さん、対バンをされるときに

対バン相手のバンドに尽くすように意識されてそう。

  

橋本 『若い時はどのバンドのことも気にもせず、

普通にライブをして自分だけで終わっていたなと思って。

今は対バンなら尽くしてやろう!って

思いながらライブしている。』

  

SIX LOUNGEとハルカミライ、

2021年のライブ活動も注目です!

  

2021年4月16日

コロナ禍で行ったAJICOの楽曲制作についてお話しました。

 

浅井さんが作ったたくさんのデモをUAさんに送り

UAさんが歌ったらカッコよくなるものを選んでいった。

 

新作は去年リリースして、ツアーを回る予定だったが

延期になったことで曲に対して熟考できた。

 

20年ぶりだけどあまり変わってない。

お互い丸くなっているのかなと思う。

和やかなレコーディングだった。

 

歌詞はコロナの最中で書いていた。

自分らしく毎日を過ごして欲しい

本質的なことを思い出して欲しい

このアルバムを通してそれを伝えたい。

 

UAさんは今回の制作で改めて

浅井さんは貴重なメロディーメーカーだと

しみじみ感じたとおっしゃっていました。


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2021年4月 9日

  

今回は47日リリース、

SIX LOUNGE ニューアルバム「3」について。

  

昨年から制作を始めたこのアルバム、

コロナ禍ということでこれまでとは変わり、

地元、大分県でレコーディングをされたそう。

  

橋本  『今までは、

どこでレコーディングしてた?』

ヤマグチ『エンジニアさん次第で福岡とか岡山行ったり、

場所を変えていたんですけど、

こういう時期なので行けないので、

地元の大分で全部録って・・・』

橋本  『大分にエンジニアさんを呼んで?』

ヤマグチ『録りは全部、ライブハウスBittsHALLで録ったから、

ライブハウスの坪井さんにお願いしました。

ど地元なので途中で帰ったりもしてたし、

毎回こんな感じがいいかも()

橋本    『めちゃめちゃリラックスしてんじゃん()

ヤマグチ『だから時間もたくさんあったので、

     練れるところはしっかり練って、

いいものができたのではないかと思います。』

 

  

今回のアルバム、歌に関してはあまりテイクを重ねないで

中には、すぐに出来上がった曲もあるそう。

  

橋本 『結構歌を録るときとか、

    1回最初から最後まで通しで歌う感じ?』

ヤマグチ 『何回か最後まで歌って、

 気になるところを直していくみたいな感じですね。』

橋本 『気持ち的には、

    1回で最後まで録ってやろう!って思うよね。』

ヤマグチ『わかる!それくらいの意気込みでいくんですけど、

聞いてみると気になるところが多くて・・・()

橋本  『ホントはねそのままいけたらノリもいいんだけどね、

やっぱりシンガーだから気になるよね。』

  

収録曲「スピード」の冒頭のヤマグチさんが

「スピードッ!」と言うところは

中でもこだわりポイントで、テイクを重ねたそうです。

 

今回のアルバム「3」のタイトルについて

SIX LOUNGEドラマーのナガマツシンタロウさんが

考えたそうで、

デビューして今作で“3”枚目となるということや

“3”ピースバンドであることなど、

「3」に縁が深いということで付けられたとのこと。

  

今回のアルバム、口に出して魅力を伝えるより

まずは聞いて欲しいとのこと。

コロナ禍での制作や、地元大分でじっくり練られた「3」、

どんなアルバムなのか、ぜひ、聞いてみてください。

  

そして、5月から

SIX LOUNGE TOUR 2021" THREE"がスタート!

詳細はウェブサイトをご確認ください。

  

  

2021年4月 9日

今回は、浅井健一さんの2020年の音楽活動を振り返りました。

 

予定していたツアーが全部なくなった

だけど音楽を作ったり、本を書くなど、できることに専念した。

去年の12月からライブを少しずつ始めて

うまく対処して気をつけてやる方法が身についてきた。

 

さらに先週の放送で浅井さんは配信ライブについては

やりたくないとの話がありましたが、そのことについては

ライブはやっぱりライブ会場でみんなで爆発したい!

画面ではなかなかそれができない。

 

最後にバンドをやりたいと思っている若い子たちにメッセージとして

バンドは最高、一つの国みたいな感じ。

自分たちのアイデアで世界に切り込んでいける。

思いっきりやってだめだったら違う道にいけばいい。

どこに才能があるかわからない、

一度チャレンジすると絶対いいとおっしゃっていました。


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2021年4月 8日

KINGS MEETING(TUE)
〜BACK TO LIVEHOUSE〜 vol.14
2021.04.06
BLUE ENCOUNT
田邊駿一❻

go!go!vanillas
牧さんへインタビュー!

お互いのツアーに参加しあったり
バンドマンとしても
ひとりの友人としても
相思相愛な仲の牧さん。

今回はそんな牧さんにお話伺いました!

■ライブハウスの原点

初めてのライブ体験は友人のライブ
出身の大分は、
パンク文化が深く根付く場所!ということで
先輩バンドはツンツンのモヒカンで
鋲ジャンを身に着けながらポコダンス
(ぶつかり合いながらジャンプして
鋲ジャンをぶつけ合う)
一方当時の牧さんは学ラン姿で
怖いな…と思いつつも通っていたそう。

次第に自分からバンドを始め
ライブをするように。
最初は好きな洋楽の
カバーバンドをやっていたが
文化的に知っている人はほぼおらず…
ぜんぜん盛り上がらない雰囲気に
打ちのめされることもありましたが
あるお客さんに声をかけられたことから
見てくれている人がいることを実感して、
自分のオリジナルを
イチからつくってみよう
という気持ちをもらえたそうです。

■STAY HOPEへの参加について

ご自身も大分出身者として、
震災に関しては強い思いが。
地方へのツアーでライブを行う際、
もしここが無くなってしまったら…
ということを普段はなかなか思わないし
またくるね・と言ってしまう。
ただそれが当たり前ではないことを
すごく肌で感じるようになったので
いま自分たち自身がどうやって動けば
お客さんの心に希望を感じさせてあげられるか
ということをより一層考えるように。

今回のアルバムも
最後に残された希望というものを
どうやって生み出していくか
がひとつのテーマに
つらいときに前を向くのは難しいからこそ
自分も痛みを一緒に感じながら
苦しい思いの中からでも
そこから生まれる感情や
活力・希望・夢を大切にして
暗い世の中に目が慣れているからこそ
動いていきたいという意思を
言葉にしてくれました。

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牧さんにとって
ライブハウスとは?

率直に、呼吸をする場所。
息ができる場所。
普段暮らしている中で

お客さんの顔が今までのように
見れなくなったことで
自分が何なのか?とわからなくなり
今までライブハウスでお客さんと一緒に
あの距離感でライブを楽しめたことが
とても大切なことだということを
再認識しました。

そんな場所がなくなってしまうなんて
まったく考えられないし
人が人であるためにこういった場所は必要。

感情と感情がぶつかり合う
こんなに素晴らしい場所はない!
これから完全に
元通りになるのかはわからないけど
いろんなものが変化しても
その分心の距離はつめていきたいし
ライブハウスは
そういう場所であってほしい。

=============

田邊さんいわく、
昔からアツい男!だという牧さん。
ツアーの打ち上げでは
ふたりきりで音楽を語らったり
お互いに故郷に対して
音楽を通してどのように
希望を届けていくかを話し合える
貴重な存在なんだとか。

ちなみに…
牧さんのタレコミにより
田邊さんが牧さんのことを
全く家に招待してくれていないことが
さらっと判明しました。
ふたりでのお家トークが実現したら
ぜひキンプレで報告を!

牧さん、ありがとうございました!!

2021年4月 5日

KINGS MEETING(TUE)
〜BACK TO LIVEHOUSE〜 vol.13
2021.03.30
BLUE ENCOUNT
田邊駿一❺

バンドゆかりの
ライブハウスから

上京してからずっと
お世話になり続けているライブハウス
渋谷TSUTAYA O-Crest
今回は
店長のムロさん
元スタッフのイノウエさんに
お話を色々伺いました!

■ブルエンの最初の印象は?

ムロさん:
はじめて出たときは恐らく学生で
すごく若くて…
まっすぐなギターロック!
というイメージ。
その後もがいていく時期を
経ていったと思うけれど
まだその前の段階な感じに見えていた。

イノウエさん:
歌がとにかくまっすぐ届く印象。
ただ4人とも線が細くって…
初々しさが強かった
(ベースの辻村君だけは
横浜のヤンキー感がありましたが)

■イノウエさんが覚えている
 BLUE ENCOUNTのターニングポイント


『HALO EFFECT』という
CDを出したとき、
彼ら自身もいろんな周囲の環境の中
揺れ動いていた。
ベースの辻村君が抜けるか抜けないか
…という議題もありながら
バンドの進退そのものを考えるような
話が挙がっていた。

仲の良さが際立つバンドだからこそ
メンバー間であまり
指摘しあう関係では無かったが
ラストツアーの意気込みで臨んだ時に
メンバーの空気感が変わった印象があった。

言いたいことを言い合い、
思ったことを伝えるということをしていて
ライブも凄く変わったし
音源にも変化があった。
ここでブルエンの音楽が
広がっていったのではないかと思う。

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O-Crestの現状
正直なところ、厳しいものはある。
通常キャパの半分でも
チケット代は変えられず…
全体的にリスクを背負っていかなければならない。

Oグループのライブハウス中でも
差がでてきてしまっていて、
まだまだこれから!というバンドが
動けていないというのが理由にもなっている。

バンドをやりたいと思ってくれる人が
これから現れるのかどうか…
ますはそこから考えていかなければいけないし
一番初期段階に来ているような気がする。

=============

当時"ギターロック"というものを模索しながら
バンドとして活動をしていた
と振り返ってくれた田邊さん。
こうして俯瞰で見てくれていた視点を
しみじみと聴いていました。

ツアー中のバンドの進退に関しては、
辻村さんだけでなく
田邊さん自身も就職活動をしながら
結論を出そうともがいていた時期だったそう。
そんな中ツアーファイナルを見に来ていたのが
今のチーフマネージャーさんで
…というまさにターニングポイントもCrestで。

訪れることで原点にいつでも返らせてくれる
crestはいまだに緊張する存在。
だからこそ、バンドマンがこれから
ライブハウスに希望を持てなくなっている
というのは悲しいしもっと夢をみてほしい。
ブルエンがもっとそういう希望の光を
見せていきたいと話してくれました。

ちなみに室さんから
イベント出演のオファーが改めて。
もちろんです!ワンマンもやりたい!
と意気込みをくれた田邊さん。
ムロさん、ブッキングよろしくお願いします!

2021年4月 2日

  

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UNISON SQUARE GARDEN 

LIVE TOUR 2021 Normal

東名阪、横浜のZeppを周るツアーでしたが、

会場に来れなかった方が多かったため、

323日、24日で横浜ぴあアリーナMM

追加公演が行われました。

今回はその追加公演の会場でお客さんに

直接インタビューした模様を聴きながら

お届けしました。

 

『頭がいっぱい!』や『最高!』など声から

全然、「Nomal」じゃないところや、

独特のセットリストが

『ユニゾンらしい』というコメントも。

 

そしてこんな声も・・・

 

ユウタさん:

『今日は最前列で田淵さんの左前ぐらいにいて、

田淵さんがずっとこっちを見ながらイエー!

ってやってるのとか見てすごい楽しくて、

やっぱロックバンドってかっこいいなって。

このままずっと普通に

ライブを続けていってほしいなって思いました。

声が出せないからその分、

拍手にすっごい力を込めて、

楽しかったっていうのと、

本当に演奏してくれてありがとうっていう、

もう本当に強い力を込めて拍手してました。』

 

 

ケンスケさん:

『普段なら声出せるんですけど、

この状況で今は出せないので、

声出せない代わりに演奏してるときに

めっちゃ体を動かしたりとか、

終わった後にめちゃくちゃ拍手したりすれば、

3人への感謝の気持ちというか、

そういうのがちゃんと伝わるかなと思ったし、

客にできることはそれぐらいしかないので、

拍手とかそういうのにちゃんと

ありがとうという気持ちを込めて。

あと、この会場のスタッフとか開催してくれた人とかに

ありがとうって気持ちを込めてやりました。

 

本当に生きがいです。他に代わるものがないんです。

正直、ライブが趣味になるまで

そんなに趣味がなかったんですけど、

ライブに初めて行ったその日から本当に

ユニゾンのライブが生きがいになっています。』

 

 

今回のライブ、開演前には話をしている方がおらず

会場が静かな状態になっていたので

斎藤さん自身、不安を感じていたそうです。

でも、いざ開演するといつもの通り、

お客さんが楽しんでくれているのを見て

スタッフ含め、どういう気持ちで開催しているのかを

少なからず汲んでくれているんじゃないかなと実感し、

ライブへの原動力にも繋がったとのこと。

 

このTOUR Nomal』は先週で終わりましたが、 

明日から、また次のツアー

Revival Tour Spring Spring Spring』が

スタートします。

 

お客さんからは

『止まらず前に進み続けてくれて、

こっちも前向きな気持ちになれる

パワーをもらいました。』

『ロックバンドは生きているんだと

証明してくれている感じ』

など感想を聞くことができました。

 

コロナ禍でできることは限られてきますが

それでも少しずつできることは

やっていきたいと斎藤さん。

 

UNISON SQUARE GARDENとしては

ライブを続けることが

“普通”だと捉えていましたが、

このコロナ禍で

いろんなアーティストやお客さんから

「ライブを続けてくれてありがとう」と

感謝されることが多かったそう。

 

斎藤『僕らが僕らのためにやっていることが、

周りから感謝されたことは

すごくありがたいことだなという風に

思っています。

今後とも自分は自分のスタンスを

貫いていきたいなという風に

今は思っています。

一人のミュージシャンとして

常に前に進みたいと思うけど、

バンドはバンドでとにかくやりたいからやる。

楽しいからやるというということを、

これからも当たり前にやれたらいいなと

思っています。』

 

 

インタビューご協力いただいたみなさま

ありがとうございました!!

  

  

2021年4月 2日

今回は、UAさんの2020年の音楽活動を振り返りました。

 

■最初に着目したのは世界の自然環境の変化

 

コロナのことで不安に包まれていてもしょうがないと思い

UAさんが最初に着目していたのは、世界の自然環境の変化だったそう。

水上都市ベネチアの運河にイルカが戻ってきたなど

観光客が減ったことで美しい環境が取り戻されていくような

ニュースをたくさん見た。

UAさんが住んでいる島のビーチにも

イルカが一頭いたのを見て実感したそうです。

 

■コロナ禍はそれぞれが原点回帰するような感じ

 

UAさんは2021年に行う予定だったブルーノート公演を延期。

AJICOの再始動も遅らせました。

そんな中、配信ライブを体験する機会があり、

お客さんが目の前にいるライブとは次元が違っていたが

その分、音に集中するような感覚で

レコーディングみたいな印象を持ったそう。

 

今は8割お母さん業をする中で、機材を揃えスタジオを作ったり

簡単なレコーディングができるような環境を整えたそうです。

いらないものはいらない、残したいものは何かというのを

深く考える時間にはなったとおっしゃっていました。

 

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2021年3月30日

KINGS MEETING(TUE)
〜BACK TO LIVEHOUSE〜 vol.12
2021.03.23
BLUE ENCOUNT
田邊駿一❹

ライブハウスのドキドキその2
〜出演者編〜

高校3年生の終わりごろに結成された
BLUE ENCOUNT…ですが
それよりも前、高校1年生の頃から
軽音楽部の仲間と
メンバーの入れ替えもありながら
バンド活動をしていたという田邊さん。
(当時からドラムの高村さんとは
一緒にバンドを組んでいました)
当時そこにはもうひとりボーカルも。

学園祭でのライブを重ねているうちに、
リーダーであるもう一人のボーカル
=ジャイアン(仮名)から突然の
ライブブッキング宣言。

当時 熊本のライブハウス・ジャンゴで
高校生がブッキングし
高校生が運営をする…という
イベントの大部分を
学生の力で展開するライブ企画があり、
毎週土日に行われていたというその企画は
チケット代のお手軽さもあって
多くの高校生が訪れるイベントでした。

ジャイアンの独断で出演が決定したのが
高校2年生の時。
そこからはとにかく
2か月後のライブに向けて練習の日々!
当時のバンド体制は、
ジャイアンがメインボーカルで
基本的に田邊さんはハモリ担当でした。
(AメロBメロは歌ってサビは…とか)

猛練習のうえでみんなが
準備万端で迎えた前日、事件が。

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ジャイアンからまさかの一言。(しかも謎の理由)
「あしたの1曲目お前が全部歌ってくれねえか」
愕然とした田邊さんでしたが、
とにもかくにもライブは明日…
徹夜して頭に叩きこむしかありません。

ライブ当日、家を出るときにも手の震えが…
お母さんが背中をさすりながら
頑張りなさい!思いっきり歌ってきなさい!
と声をかけてくれたのは
いまでも覚えているそう。

もう一つ
今でも覚えているのは、
その日のライブハウスの風景。
タバコくさい空気や狭い楽屋…
ぎゅうぎゅうの機材…
(緊張しすぎてその狭さも
気にしている場合じゃなかったのですが)

その日のトリを務めるのが、
名のある高校生バンドだったということもあり
1番手の田邊さんたちの出番から会場は満員。
やるしかない!と1曲目を歌ってからは
一瞬の出来事のように全曲をやりきり、
終わった時には記憶が全然なかったんだとか。

打ち上げはライブハウス近くのロッテリアで。
出番では問題の1曲目以外は
ジャイアンが歌もMCも担当していたため
意気揚々とロッテリアでも
コーラを飲んでいるジャイアン。
対してすみっこで
メロンソーダを飲んでいた田邊さんでしたが、
そんあところに
界隈で有名な高校生バンドたちが入ってきました!
ご一行はジャイアンのもとに行くのかと思いきや、
揃って田邊少年のもとへ!
口々に例の1曲目を絶賛してくれました。

結果打ち上げでは
終始中心にいることになった田邊さん。
その足で向かった高村さんのお家で
新しくバンドをやろうと思う
という気持ちを伝えました。
これこそがブルエン誕生の瞬間!
(そこからその噂がどこからか広まって、
バンドへ入りたいと言ってきたのが江口さん)

あの日1曲目を歌ったことで、
今までなかった自身がうまれたという田邊さん。
その想いがブルエン誕生への
キッカケになっていたんですね・・・

ちなみにいまでも
ジャイアンとは連絡をとっているそうです。

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