2022年07月12日

新規事業「小屋やさん」とは?

株式会社植田板金店
代表取締役 植田博幸さんをお迎えしています。
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※リモートでの収録です。

小黒「植田板金店が2017年の新規事業として、
大ヒットしたのが、小屋の制作販売「小屋やさん」
なんで「小屋やさん」がいきなり始まったんですかね?」

植田「元々やろうとしたきっかけは、
事業を始める半年前に、美容院でたまたま雑誌を見ていたら、
小屋特集というのが組まれていたんです。
そのころちょうど社員が増えいた時期で、
(外仕事なので)雨の日とかはやることなくなってしますんですよね。
そこで屋根の模型を作って、雨の日はそれを使って、
ベテラン職人が新人に教えたりとか、
若者の職人同士が競い合って、
(技術を高め合って)昇給などに
反映できないかと考えていたんです。
これだったら、練習ができた上に
販売ができるかもしれない。
たとえ原価で売って、利益が出なかったとしても
練習を経ているので、儲けがなくても
この事業はすごくハマるなと思ったんです。」

今夜の選曲:MIDNIGHT SONG / THE FIN.

staff| 21:00 | カテゴリー:ゲストトーク

2022年07月11日

板金店が手がける ヒット商品「小屋」について

株式会社植田板金店
代表取締役 植田博幸さんをお迎えしています。
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※リモートでの収録です。

小黒「植田板金店について、伺いたいのですが、
一般的に板金といえば車ですが、
植田さんのところでは、どのようなお仕事なのでしょうか?」

植田「うちの板金の字の「板」は「いたへん」なんですね。
車の場合は、「かねへん」を使うのですが、、、。
業種としては、建築板金工事業という業種でして、
わかりやすく言うと、ブリキ屋さんですかね。」


小黒「植田さんは2代目ですが、
先代から引き継いだ時に最初に考えたことは?」

植田「20年以上前に、経営者として
任せられたのですが、最初に取り組んだのは、“5S”
「整理・整頓・清掃・清潔・躾」を徹底しました。
経営者仲間からは、こういうこと大事だよと
言われていたので、まずはここからだと。
実は僕も経営者になって最初の2年ぐらいは、
トイレ掃除とかもしていました。」

今夜の選曲:GRAVITY(ACOUSTIC VERSION) / THE FIN.

staff| 21:00 | カテゴリー:ゲストトーク

2022年07月07日

音楽の町…そして、今後の展望を伺います。

北海道上川郡東川町役場・産業振興課課長の菊地伸さんをお迎えしています。
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※リモートでのご出演です。

小黒「ユニークなアイデアが次々生まれて
いる東川町ですが、そういう取り組みは
役場の人たちがチャレンジャーなんですかね?」

菊地「今の町長が就任したことが大きな契機に
なっているのですが、失敗を恐れずに挑戦しよう
……合併をするのではなく、自立するという
選択をして町長の代が始まったので、
町民も職員も自立に向けた思いを持って
いると思います。」

写真、木工家具、移住……と様々な
町の姿を今週ご紹介してきましたが、
東川町では住民に健康促進プログラムも
提供しています。
昨年、株式会社R-body projectと
オフィシャルパートナーシップ協定を
結び、コンディショニングコーチ2名が
東川町に滞在。高齢者の方が元気に。
自分らしく長生きをしていくため、
コンディショニングというサービスを
提供しています。

その他にも、コロナ禍で近年は開催できて
いないのですが、東川町で音楽イベントを
行っており菊地さんご自身も参加
されています。

菊地「私自身も団体を作っていて、
羽衣音楽祭というアマチュアバンドを
集めたライブイベントを毎年8月に
開催していて25年ほど続けています。
自分達で作り上げることをコンセプトに
東川周辺の町で活動している人を
集めてみんなで楽しむことを目的に
しています。」

今後、東川町では
総合的デザインミュージアムの
実現に向けて動いており、
その中では、地元で作られた家具の
展示や建築家・隈研吾さんの展示も
行われるそうです。

4日間にわたり、ありがとうございました!

今週の選曲… Falling Apart(Right Now) / Wilco

staff| 21:00 | カテゴリー:ゲストトーク

2022年07月06日

移住の町としての東川町

北海道上川郡東川町役場・産業振興課課長の菊地伸さんをお迎えしています。
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※リモートでのご出演です。

現在、東川町への移住者が増えています。
過去25年で人口の約5割が移住者
というデータが出るほど!

菊地「大きく二つあると思います。
一つは、旭川市などの近隣から移住を
求めている人。そういった人たちは
旭川市内での仕事をしながら家を
町内にもつ形です。
もう一つは首都圏や、札幌市を
含めた都市部からの移住者です。
外からの移住者の多くはデザイナー
であったり、自分の仕事を町内でも
できる方が多いですし、中には
移住に合わせてカフェや飲食店を
オープンされる人も多いです。」

東川町の独自性は移住者が住みやすい
ように直接的な支援を行う形では
なく、住みやすい地域づくりに
力を入れています。

菊地「教育、福祉、子育てなどの
充実によって暮らしやすい町という
イメージがついたのが移住者が多い
理由になっていると思います。
東川町に元々住んでいる住民さんと
移住された方が共感しあって、
自発的に物事が起こることが
多くなっています。
どこを移住者として捉えるか、
という感覚が東川の場合は
無くなっているんです。」

今夜の選曲… Cruel Country / Wilco

staff| 21:00 | カテゴリー:ゲストトーク

2022年07月05日

写真の町、そして、木工家具の町

北海道上川郡東川町役場・産業振興課課長の菊地伸さんをお迎えしています。
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※リモートでのご出演です。

今回の出演に先立ち東川町役場へ電話すると
必ず最初に『写真の町、東川町です。』と言われました。
東川町が『写真の町』になったのは、1985年に
全国で行われていた“一村一品運動”が
きっかけ。写真の町宣言をした後で
様々なイベントを行うようになりました。

菊地「東川町は自然と文化が香り高い町として
町民も自信を持って生活していました。
なので、写真写りの良い町づくり、人づくり、
物作りということを宣言の中に盛り込み、
さらには世界に開かれた町づくりを
していこうということを入れて取り組みを
始めました。」

現在は、高校生国際交流写真フェスティバル
東川国際写真フェスティバルの実施もされて
います。
そして、東川町とその周辺の町を舞台に
高校写真部が写真を撮って競い合う
写真甲子園も行われています。

他にも東川町には、木工家具の町としての
一面も。日本三大家具の一つである
旭川家具の生産の3割を担っています。
その中でチャレンジされている
君の椅子プロジェクト」とは?

菊地「最初は旭川大学のゼミの企画から
発展したものです。この周辺の地域で
生まれてきた赤ちゃんに地元で作られた
椅子をプレゼントする取り組みです。
このプロジェクトを通して、
『生まれてきてくれてありがとう』
『ここには君の居場所があるよ』と
いうことを伝えています。」

今夜の選曲… Sad Kind of Way/ Wilco

staff| 21:00 | カテゴリー:ゲストトーク

2022年07月04日

写真、地下水、木工家具など…北海道東川町の魅力、たっぷりと伺います。

北海道上川郡東川町役場・産業振興課課長の菊地伸さんをお迎えしています。
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※リモートでのご出演です。

北海道生まれ、大学卒業後、民間経験を経て
1992年に東川町役場に勤務。2021年より
産業振興課に従事されていらっしゃいます。
全国から「東川スタイル」の暮らし方と、
役場の独創的な取り組みが注目されています

北海道のほぼ中央…旭川市の東側に位置
している東川町。旭川市内からは車で30分、
旭川空港からは10分ほどの距離にあります。
実は『三つの道』……鉄道、国道、そして
上下水道がない町なんです!

菊地「東川町では全世帯、全事業者の
土地にボーリングをして15m〜20mの
地下水を生活用水として使っていきます。
なので、地下水の町とも呼ばれているんです。」

小黒「生活をしていると地下水が汚れると
思うんですが、そうした心配はないんですか?」

菊地「2年サイクルで全世帯の水質検査を
町でおこなっています。問題が起きれば
すぐに対処する形で地下水を守っています。」

大雪山系の湧水が豊富な土地、ということで
主要産業は農業。湧水を汲んだミネラルウォーターの
産地にもなっています。
2年前には岐阜県にあった公設酒蔵が移転しました。

今夜の選曲… Ambulance / Wilco

staff| 21:00 | カテゴリー:ゲストトーク

2022年06月30日

来年開催予定の自転車イベントのお話、たっぷり伺います。

株式会社AKEMI S. MILLER Beauty Studio代表、
アケミ・S・ミラーさんをお迎えしています。
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小黒「日本とNYを繋ぐということですが、
そのBIKE JAPANのイベントはどこで
やろうと?」

アケミ「愛媛県のしまなみ海道の中に
ある”ゆめしま海道”で予定しています。
実は最近最後の橋がかかったばかりで
信号もあまりなくて…町長さんなんかは
ずっと乗り気で、警備の人数が減るよ、
なんて言っています。
愛媛県知事とも話していて、この後は
リゾートにしなくてはという話を
させてもらっています。
確固としたリゾートがあれば、世界中に
家を持っているようなセレブたちが、
なんなら島を買うよ、っていうかもしれない。
海外からの人を誘致して、日本のものを
海外に売り出す窓口にもなるんじゃないかと
思っています。」

来年2023年の10月に第1回BIKE JAPANを
開催予定です。3000人規模のイベントにする
とのことで、そのうちの500人は海外の
方にしようと思っているとのこと。
そして、その翌年の5月には
ニューヨークで開催する予定です。

今夜の選曲… Bicycle Race / Queen

staff| 21:00 | カテゴリー:ゲストトーク

2022年06月29日

『BIKE JAPAN』の代表理事に就任したお話、伺います。

株式会社AKEMI S. MILLER Beauty Studio代表、
アケミ・S・ミラーさんをお迎えしています。
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アケミさんは今年、一般社団法人
BIKE JAPANの代表理事に就任されました。

アケミ「コロナ禍という最悪な状況の中で、
日本とNYを繋げたいという思いがありました。
私の作った服は高くてですね、NYでは
それを買う層に買ってもらえました。
でも、日本ではエコノミーがすごく
厚いんですよね。そうした普通の人も
楽しんで貰えるようなことをしようと
考えたんです。
大阪京都って自転車王国ではあるんですが、
マナーが悪くて事故が多いんです。
そうした時に、知り合いだったNYの
スポーツコミッショナーが
BIKE NEW YORKの代表になっていました。
彼と話していくうちに、私が全部
セットアップしたら、彼が乗ってくれる
という話になっていったんです。」

今夜の選曲… THERE MUST BE MORE TO LIFE THAN THIS (William Orbit Mix)/QUEEN & MICHAEL JACKSON

staff| 21:00 | カテゴリー:ゲストトーク

2022年06月28日

マイケル・ジャクソンの私服をデザイン!そのきっかけとは?

株式会社AKEMI S. MILLER Beauty Studio代表、
アケミ・S・ミラーさんをお迎えしています。
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アケミさんは、トランプ元大統領の
「トランプタワー」に住まれていた事も!
隣にはジャネット・ジャクソンと
サラ・ブライトマン、上の階には
スティーブン・スピルバーグ監督や
ビル・ゲイツなど……錚々たるセレブが
住んでいたといいます。そして、
同じくトランプタワーに当時住んでいた
マイケル・ジャクソンの私服も
担当されました。

アケミ「トランプタワーに帰って
きたら、仲良しのエレベーターマンが
『早く来い!』ってエレベーターの中から
手招きしてるんです。飛び乗った途端に扉が
しまって、その扉に反射して後ろにいた
マイケル・ジャクソンに気がついたんです。
マイケルだ!と思ったけど、著名人が
多いので後ろ振り向かないでおこうと
思って…で、その仲良しのエレベーターマンが
『CNNに出ているの見たよ!頑張っているね』
って話して、60階で私は降りました。
マイケルは62階のワンフロアを
持っていたのでそのまま上がっていったんですが
しばらくしたら、そのエレベーターマンが
ドアの前でインターホンを鳴らしていました。
彼は『Are You Interested in Mr.Jackson?』
って聞くんです。話を聞くと、私が降りた後で
マイケルが『彼女はどんな服を作っているの?
パンフレットとかない?』って聞いて
きたんですって。エレベーターマンが作品を
何個か上に持っていって、しばらくしたら、
マイケルから作品が『とても美しい、
僕の私服を作ってくれませんか?』
って言われたんです。
マイケルはプライベートコレクションという形で
その服を着てくれて、私も『この服を着たら
貴方は強くなる』って書いて彼に渡していて。
彼も『アケミのシャツを着たら気分がいい、
強くなれる気がする』って言ってくれました」

今夜の選曲… Man In The Mirror / Michael Jackson

staff| 21:00 | カテゴリー:ゲストトーク

2022年06月27日

ニューヨークで活躍したデザイナーが起こす、次のアクション…たっぷり伺います。

株式会社AKEMI S. MILLER Beauty Studio代表、
アケミ・S・ミラーさんをお迎えしています。
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兵庫県出身、1989年に、ニューヨークに渡り、
ニューヨークコレクションなど、25年間
ファッションデザイナーとして活躍され
2013年に帰国。
AKEMI S. MILLER Beauty Studio設立し、
トータルビューティープロデューサーとして
活躍されています。

小黒「渡米される前にやられていた東京での
お仕事というのは?」

アケミ「その頃、20代で京都から着物を
5ブランドから出す着物作家として活動
していました。芸能界の方によく着て
いただいて 紅白歌合戦は10年間…
小林幸子さんや、川中美幸さん、
最後は坂本冬美さんに着ていただきました。」

他にも多くの女優の着物を担当されていた
アケミさん。しかし、バブルに沸いていた
当時の日本よりもニューヨークでの
活動に移行した理由は着物の未来を
憂いてのものでした。

アケミ「着物の未来が見えなかったんです。
第一には、自分で民族衣装を着ることが
出来ない国民って日本人だけじゃないですか。
自分で着れないし、ヘアメイクもしなくては
いけない。普段から着物を着なくちゃいけない
ポジションの人しか着ない……。
20代で5ブランドから着物を出したけど、
街でそれを着ている人をほとんど見ない。
試行錯誤をして、着物業界で私は役に立てない、
どうしたらこの日本の色柄を生かしていけるか…
と、考えた時に洋服にすればいいと思いました。
着物ではなく“きるもの”として考えたら、
着物をデフォルメした今の時代にあった
ファッションが出来てもいいなと思い、
300点程作品を作りました。」

98年渡米し翌年には、コレクションデビュー。
さらに3年後には、ファッション・ウィークの
初日に、唯一の日本人デザイナーとして
コレクションを発表されます。
この25年間コレクションを続けてこられた
秘訣とは?

アケミ「私は、ファッションに関しては全て
独学なんです。自分が着物を表現するのに
ファッションとして昇華して世界中の人に
着てもらえる。いいものだったら人は
付いてくる…という思いでこの25年間
やってきたと思います。」

今夜の選曲… Crazy Little Thing Called Love / Queen

staff| 21:00 | カテゴリー:ゲストトーク


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