2016年09月28日

昨年4月に性的少数者であることを告白。多様性を受け入れる世界へ。

シンガーソングライターの清貴さんは、
アメリカで5年ほど生活をされ、
日本の事務所からの連絡をきっかけに昨年帰国されました。

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今年4月に所属事務所を独立、
実に7年ぶりのアルバムが完成されました。
アルバム発売のためのプロジェクトも進行、
当初の目標だった350万円を達成もされています。
清貴史上最高傑作の4th Albumリリースプロジェクト。

9月30日は、シンガー傳田真央さんとの
デュエットライブを開催されます。
「SING DIVAS vol.1」
日程:2016年9月30日(金)
会場:代官山 LOOP
時間:18:30 OPEN、19:30 START

そんな清貴さんは、昨年4月に開催された
『東京レインボープラウド2015』にて、
LGBT (性的少数者)であることを表明されています。
「僕はこの中の、Gですね! 今では、13人に1人と言われていて、
 だいたい、左利きの人くらいの割合ですね。
 動物学的に言うと、普通にどんな生物にもあるんですよ」
今回のリオ・パラリンピックでは、自らLGBTであると
表明している選手の出場が史上最多だったそう。
テーマも”多様性”。世の中の動きを感じます。

今夜の選曲:WE ARE ONE / 清貴

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2016年09月27日

デビュー当時の苦悩と渡米して出会った本場のゴスペル。

シンガーソングライターの清貴さんをお迎えしています。

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プロになったきっかけは、高校時代。
「高校時代に付き合っていた女の子の夢が歌手だったので、
 よく一緒にカラオケに行っていて。
 そこで僕が歌っていたのをテープに録って
 レコード会社に送っていたらしいんですよ」
こうして、17歳でデビュー。40万枚のヒットを生み出します。
ですが当時高校生だった清貴さんは、その状況に困惑されたそう。

さらに、当時はLGBTであることを公表しておらず、
人目に触れることで、自身の隠していた内面を晒され、
ショックを受けてしまったそう。
その後、単身でアメリカ・NYへ行くことを決意され、
2010年からハーレムに住みはじめられます。

渡米2日後には、憧れのゴスペルを聴きに教会へ。
「すごい感動して、キーボード弾いてた人に
 日本から来たシンガーでゴスペルが大好きだって伝えたんです。
 そしたら、”何か歌って”って言われて、Amazing Grace歌ったんです。
 それを、たまたま1番偉い人が聞いていて、”今度の日曜日に歌って”って!」

日曜日に教会に行くと、礼拝で
突然ステージで歌うことになったそう。
「演奏が始まって、すごい緊張したんですけど。
 これが、自分がやりたかったことだって。自分の全てを出して歌ったら、
 教会中の人が立ってくれて、”KIYOー!”と拍手を送ってくれました」

今夜の選曲:AMAZING GRACE / NEW YORK HARLEM GOSPEL SINGERS

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2016年09月26日

音楽に救われた入院生活。ゴスペルとの出会い。

シンガーソングライターの清貴さんをお迎えしています。

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小さい頃から音楽が好きだった清貴さんは、
高校時代にバンドを組まれたそう。
きっかけは、小学生、中学生の2回にわたる
腸閉塞での入院生活での音楽に救われた経験から。
「2ヶ月くらい入院していて。病室で一人になって、
 この先どうなるのかという不安の中で。
 ずっと音楽を聴いていたことで救われたんです。」
当時音楽の中でも、ゴスペルが1番好きだった清貴さん。
「歌声に圧倒されて、なんなんだろうこの感動は、
 と思って、歌を歌い始めました」

清貴さんは、ピアノを幼少期に始め、現在でも作曲はピアノ。
尊敬するアーティストとして、久石譲さんをあげています。
「琴線に触れるメロディー、コード、、、
 もう作曲家としてたまらないですね。」

今夜の選曲:THE ONLY ONE / 清貴

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2016年09月23日

9月26日から9月30日は、

シンガーソングライターの清貴さんをお迎えします。

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LGBTの理解、パラスポーツ応援。
みやぎ絆大使の仕事など、たっぷりと伺います。

■プロフィール■
1982年、宮城県仙台市生まれ。
高校在学中にレコード会社と契約し、2000年にデビュー。
サードシングル『The Only One』が
40万枚を超える大ヒットを記録。
2010年に渡米され、2013年には全編英語のアルバム
「Reborn」が、アマゾンチャートのポップ部門、
ソウル/R&Bチャートで1位を獲得。
昨年帰国し、現在は日本で活動を行っていらっしゃいます。

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2016年09月23日

ボランティアのきっかけは、偶然見つけたグランドピアノ。

株式会社et toi 、代表取締役で、
ライブ空間コーディネーターの元木美歩さんは、
高齢者施設でのボランティア演奏をされています。

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「1人暮らししていた時に、家に電子ピアノしかなくて。
 その時近所に大きな建物があって、
 それが高齢者施設だったんです。調べてみたら、
 そのロビーにグランドピアノがあって(笑)
 いきなり行って、”グランドピアノでたまに練習させてください”
 って頼みに行ったんですよ」
最初は練習の時間だったはずが、
施設の方々が見にきて下さるようになったそう。

そこは女性が多い施設だということで、
服装を心がけているそう。
「変わった洋服とか、最近のデザインのものだと、
 興味を示して、近く来て下さるんですよ。」
2006年にスタート、現在でも月に2回ほど行っており
200回以上を数える活動になっています。

株式会社et toi を設立して6年目となる、元木さん。
いつかは、自身でライブ空間のある飲食店を作ってみたい、
という夢も持っているそう。

今夜の選曲:WEDDING BELL BLUES / LAURA NYRO

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2016年09月21日

自ら足を運んで、ミュージシャンをスカウト!

株式会社et toi 、代表取締役で、
ライブ空間コーディネーターの
元木美歩さんをお迎えしています。

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会社を設立した理由は、
自身のミュージシャンとしての経験から。
「ミュージシャンは、ライブ活動する時に
 集客に困っている一方で、流行っているレストランは
 たくさんあるので、マッチングをしよう、と。」
株式会社et toi でブッキングできるミュージシャンは、
様々なジャンルの100名以上にもなっています。
「基本的にプロで、昼間は先生をやっている方などもいます。」
 
多くの音楽事務所との違いは、
スカウトのみでの所属になること。
「私の場合は、普段のライブ活動を見て、
 スカウトします。仕入れをするというか、
 ミュージシャンとたくさん知り合いになって、
 営業先に”こんなミュージシャン居ますよ”って
 動画とかでも紹介するという活動をしています」
10月26日には、銀座・赤道倶楽部でライブが開催されます。
ニューヨーク育ちのソウルシンガー「音音NeNe」と
キーボードで伴奏を務める元木さんによるライブです。

今夜の選曲:STONED SOUL PICNIC / LAURA NYRO

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2016年09月20日

生演奏を出前する!ミュージシャンとレストランを繋げる仕事とは?

ライブ空間コーディネーターの元木美歩さんが
代表取締役を務める株式会社et toi

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株式会社et toi は、音楽事務所で、
コンサート・イベント企画、
アーティスト紹介などを行う会社です。
「生演奏が必要とされるレストランなどに
 機材、楽器を持ち込んで、アーティストとともに 
 出前をする、出張ライブをする、といった感じです。」
ハワイアン、ボサノバ、ベリーダンスなど、
様々なジャンルの音楽を奏でることができるそう。

お店によってはステージ設置、照明などの用意もありますが、
簡易なセットの会場で行う場合もあります。
「週に3日はライブハウス通いをして、それに並行して
 流行りのレストランに行ったりして。
 “ここに生演奏があると良いな”と感じるアンテナを張っています」
以前、銀座・赤道倶楽部でも、
元木さんのアンテナに引っ掛かりました。
その時は、ご自身でセッティングを行い、エレクトーンを演奏されたそう。

今夜の選曲:STONEY END / LAURA NYRO

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2016年09月15日

9月20日、21日、23日は

株式会社et toi 、代表取締役で、
ライブ空間コーディネーターの元木美歩さんをお迎えします。

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”生演奏のある空間をつくる”、その仕事とは?
たっぷりと伺います。

■プロフィール■
1970年生まれ、大分県出身。
6歳よりエレクトーンを習い、ヤマハの講師を経て1998年に上京。
都内のブライダルやホテルのバー、
レストランでピアノ演奏の仕事を続けるなか、
2010年に株式会社et toi エトワを設立し、
ライブ空間コーディネーターとして活躍していらっしゃいます。

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2016年09月15日

世界で感じる環境破壊。子供達に伝えたい、写真を通して自然を見ること。

写真集『Dear Earth』を先月発売された
自然写真家の高砂淳二さんは、
NPO法人 OWS(Oceanic wildlife society)の
副理事長を務めていらっしゃいます。

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専門家を招いた勉強会、セミナーを開いたり、
海の掃除、サンゴ調査などの活動を行っています。
スタートのきっかけは、ミッドウェー諸島での出来事。
「そこは、コアホウドリの繁殖地なんですけど、
 みんな死んでいて、腐っている個体もいて。
 よく見ると、胃袋のところが残っていて。テグス(釣り糸)や、
 プラスチックのライターとかが詰まっているんです。」
親鳥が海で取ってきた餌を食べるヒナが、
ゴミを食べてしまい、亡くなってしまうそう。

ミッドウェー諸島は人間が居ない地域ですが、
”太平洋ゴミベルト”の中にあります。
「こんな所にまで、こんなに人の悪い影響があるのかって。
 結構ショックで、これは何かしなくちゃ、と。
 見ええないところならいいやっとまだ思ってるんですよね」

NPO法人 OWSでは、子供達を対象に今年の夏、
高砂さんの故郷:宮城県石巻でも
ネイチャースクールを開催されています。
”写真を通して自然をみる事” を目的とした、
フォトコンテストも開催しています。

”地球”を意識して撮影している高砂さん。
「地球を、魂のある星、といった風に見たくて。
 これからもっと、そういう風に感じてもらえるように
 撮っていきたいな、と思います。」
北極圏にも行ってみたいとも。

今夜の選曲:GOING HOME ( THEME FROM LOCAL HERO)
              / MARK KNOPFLER

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2016年09月14日

自然を撮り続けて30年以上!撮影で最も大切な事とは?

自然写真家の高砂淳二さんは、
大学時代は電子工学を学ばれていました。

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しかし、電子工学には全く興味がないまま、
3年になり休学。オーストラリアへ行かれました。
「その時、ダイビングしたら楽しかったんですよ。
 しかも潜る仲間が、写真が売れたって言ってて、
 こんな仕事あるのか!って!
 これ仕事にしたら、一生こうやって暮らせるって(笑)」

そこから30年、今でも活躍し続ける高砂さん。
大切にされているのは、”興味を中心に置くこと”だとか。
「最初は海に興味があって。でもだんだんと生き物に興味が出て。
 人間という生き物にも、不思議を感じていって。
 それと同時に、カメラを向ける方向も変わっていって、
 海から陸に上がって、ハワイに行き着きました」
ハワイでは先住民、カイポ・カネアクアさんに出会い、
自分の感じる”不思議”の答えを貰えるようになったそう。

今夜の選曲:THE CEILIDH AND THE NORTHERN LIGHTS
              / MARK KNOPFLER

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