2016年10月10日

チャレンジド・ヨガとは? ポーズを見せるのではなく、イメージで伝える。

高平さんと小黒さんが知り合ったのは、
小黒さんの旧友、失明されたカメラマン:カゴミヤさんを通じて。

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「大変なんだけど 結構楽しくやってるよって話してて。
 そしたら、視覚障がい者のヨガの先生面白いから
 連れてっていい?って言われてさ~」と小黒さん。

高平さんがプロジェクトリーダーを務める
チャレンジド・ヨガは、2013年の夏に始まりました。
国立障害者リハビリテーションセンター で
視覚障がいの方、聴覚に障がいもある盲ろうの方と
接している時、ある女性に言われたことが1言がきっかけ。
「視覚障がいの方が、”私たちもやってみたいな、ヨガ”って。
 移動をともなわない、1畳で気持ちよくできるので、
 定期的なヨガを始めようと思いました。」

基本的には障がいをもった生徒さんが多いそう。
そのため、ポーズを見せるのではなく、ポーズを伝えます。
「3ステップが特徴ですね。
 まずは、”虎”とか”蛇”とか、イメージを伝えて、
 2ステップで、会話しながらポーズを直して練習します。
 3ステップで、完成ポーズをしていきます」

今夜の選曲:METAMORPHOSIS / ANOUSHKA SHANKAR

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2016年10月07日

10月10日から10月14日は

NPO法人 日本カルチャーヨガ協会
チャレンジド・ヨガのプロジェクトリーダー
高平千世さんをお迎えします。

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視覚障がいの方々のヨガ、チャレンジド・ヨガとは?
たっぷりと伺います。

■プロフィール■
1970年生まれ。北海道札幌市出身。
2012年、日本社会事業大学
社会福祉士養成課程を修了され、
視覚障がい者や高次脳機能障がい者の
ITやメイクの講師をされています。
週末は、ヨガインストラクターとして活動され、
視覚障がいの方々のヨガ、チャレンジド・ヨガの
プロジェクトリーダーでもいらっしゃいます。

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2016年10月07日

収集とは、虚無との戦い! ホーロー看板、前掛け、絵葉書などの保管状況とは?

写真家でアンティーク収集家のオオタマサオさんは、
ホーロー看板や前掛けなどの他にも、
絵葉書も10万枚収集されています。

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逓信省で作られたという、
日本初の絵葉書も所有されています。
「日露戦争の後、第1次 絵葉書ブーム
 っていうのがあって、たくさん出されたんです」
収集家同士で集まって話したり、
商売にはできない、とオオタさん。
以前オープンされていた八ヶ岳のギャラリーは
今では140坪の倉庫となり、7つの倉庫をお持ちです。
「もう、モノを集めるっていうのは、
 虚無との戦いですからね。」

ホーロー看板といえば、ボンカレーの 松山容子さん、
ハイアースの 水原弘さん、アース渦巻の 由美かおるさん など、
看板とセットになっている役者も人気です。

オオタさんのホーロー看板コレクションの中でも
特に貴重なのは、ボンカレーの半年だけ販売された
ビニールパックの看板。
現在10万円程度まで値段が高くなっているそう。

今後も、収集家として、ホーロー研究家として
活動されていくオオタさん。
映画への時代考証もされるかもしれません!

今夜の選曲:KEEP THE FAITH / PATAX

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2016年10月06日

モダンな給水塔の写真展を親子で開催。

写真家でアンティーク収集家のオオタマサオさんの
写真展、『OHTA J+M展 TOKYO WATER TOWER』
新宿queue galleryにて、10/29(土)まで開催されています。

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こちらは親子による展覧会で、
ユニークな形の給水塔の写真が展示されています。
「フォルムがすごいし、こんなにいろんな形があるとは。
 僕も、周れば周るほど、取り憑かれたようになって」
7〜8年前から周り始め、地域を東京に限定し、
モダンな形のみを探して撮影されたそう。

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昭和30年代の団地ブームによって
各地にできた給水塔ですが、今後減っていくのでは
とオオタさんはおっしゃいます。
「地震とかあるし、巨大な30mはね。
 最近は平たいのがあるし、
 昭和30年代のモニュメントだと思ってます。」
岡本太郎さんの”太陽の塔”にも
給水塔の雰囲気を感じるそう。

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最近では、日本酒やビールメーカーが
酒屋に配る前掛けにも興味を持ち、集められています。
「ワークギアになって、実用があって。
 うまいですね考えた人。歩く広告塔ですよ。」

今夜の選曲:BLACK OR WHITE / PATAX

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2016年10月05日

日本の名作映画に登場する、ホーロー看板たち。

写真家でアンティーク収集家のオオタマサオさん。
映画監督:小津安二郎さんは
”ホーロー看板の始祖”だとおっしゃいます。

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例えば、映画『東京物語』。
登場する美容院のガラスに映る酒屋にさえ、
10種類以上の看板がズラリと並びます。
「トーキー時代(映像と音声が同期した映画)の
 岡田時彦が主演している映画から、
 ずっと看板を撮ってるんですね。もう一本は、『浮草』。
 イントロからいっぱい看板が映ってるんです。」
さらに、若くして亡くなった映画監督、川島雄三さんの
映画『青べか物語』もお気に入りの1作。

「最近の日本映画の残念なことがあって、
 『うなぎ』っていう名作も、
 床屋さんにボンカレーは貼ってあって、、、
 最後のラストにがっくりしちゃいましたね」
“ホーロー研究家”として合格を出したのは、
映画『愛を乞うひと』だそう。

今夜の選曲:THE WAY YOU MAKE ME FEEL / PATAX

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2016年10月04日

ホーロー看板の歴史。実は教えたくない、看板探しにイイ地域とは?

写真家でアンティーク収集家のオオタマサオさんを
お迎えしています。

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木製看板だった江戸時代から、
ホーロー看板へと変化していった明治時代。
「ホーロー看板っていうのは、大量生産ができて、
 耐久性があって、色鮮やかで広告効果が抜群、
 っていうことで明治の中頃広まったんですね。」
イギリスでは200年以上前からあり、
“enamel advertising sign board”と呼ばれていました。
その後アメリカへ渡り、日本にも入ってきたのだとか。
昭和30年にはピークを迎えます。

ホーロー看板を集めるため、
日本全国を旅をされてきたオオタさん。
最初は自宅付近を歩いて探し、その次は自転車、
最終的には車で探すようになったそう。
「基本的にメーカーが作って配るものですから、
 地方の醤油、地酒メーカーなんかは、
 その県内だけ特有の看板かけている場合がありますね。」
オオタさんが思う狙い目の地域は、中国地方だとか!

今夜の選曲:BILLIE JEAN / PATAX

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2016年10月03日

およそ1700枚を所有!懐かしきホーロー看板探しの旅。

写真家でアンティーク収集家のオオタマサオさんの
著書『琺瑯看板〜懐かしき昭和30年代を訪ねて〜』。

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小学館の雑誌ラピタにて、
3年半連載されていたものをまとめた本で、
現在ではオオタさんは1700枚近くを所有しています。

オオタさんは、ホーロー看板のある現場まで赴き、
持ち主と直接交渉をご自身でされています。
「汗と涙の記録ですね!
 田舎に行くと変な人に思われちゃって。
 1時間粘っても、譲ってくれないんですよ。
 ”30年前からあってメーカーの人に悪い”って」
そこで、オオタさんは、ホーロー学会を作り、
“ホーロー研究家”として名刺を作られたそう。
「かえって警戒されちゃってダメでしたね〜。
 いただける確率っていうのは、10枚に1枚くらいで。」

オオタさんの選ぶ、ホーロー看板御三家は、
”カルピス”、”グリコ”、”ペコちゃん”!

今夜の選曲:WANNA BE STARTIN’ SOMETHIN’ /PATAX

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2016年09月30日

10月3日から10月7日まで

写真家でアンティーク収集家の
オオタマサオさんをお迎えします。

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ホーロー看板、その歴史と魅力について
たっぷりと伺います。

■プロフィール■
1949年静岡県生まれ。早稲田大学卒業後
36歳より写真家として活動する一方、ホーロー看板や
前掛けなどアンティーク収集家としても活動され、
著書に「琺瑯看板~懐かしき昭和30年代を訪ねて」、
「広告キャラクター人形館~昭和30年代のスターたち」、
また膨大な落葉の写真集
「ACCUMULUSアキュミュラス」などがあります。

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2016年09月30日

本場のゴスペルで感じた、音楽の根本とは?

シンガーソングライターの清貴さん
宮城県仙台市出身です。

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ご実家も東日本大震災で被災し、半分ほどは浸水。
ご両親は数週間ほど小学校での避難生活を余儀無くされました。
「その時ちょうどNYにいたので、ずっと連絡が取れなくて、
 僕自身はストリートで歌って募金活動していました。
 家族は無事でしたが親しい知人や、同級生を亡くしました」
東日本大震災当時、海外で生活してたことに
今でも申し訳ないと思っている、とおっしゃいます。

そんな清貴さんは、地元の素晴らしさを伝える
“みやぎ絆大使”を務めていらっしゃいます。
「僕が大好きなのは、ずんだ!
 今流行っているのは、ずんだシェイクですね!
 ずんだロールケーキもありますし」

”歌を一緒に歌って交流すること”を目指し
活動を続けている、と清貴さん。
「音楽は1人が歌って楽しませるだけじゃなくて、
 みんなで歌って楽しむっていうのが
 音楽の根本なんじゃないかな、って
 ゴスペルを歌っている時に、すごく思ったんです。」
ゴスペルは譜面、歌詞カードも使わず、
その場で曲のリズム、メロディー、ハーモニーを
作っていくものなのだとか。
このスタイルの音楽を日本でも広げていきたい、とのこと。

今夜の選曲:0 HAPPY DAY / EDWIN HAWKING SINGERS

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2016年09月29日

パラスポーツにも通じる、違いを認め合う大切さ。

シンガーソングライターの清貴さんは、
フジテレビのパラスポーツ応援プロジェクト
『PARA☆DO!』の公式アーティストとして楽曲提供、
イベントライブなどもされています。

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LGBTであると告白できない時期が長かった清貴さんは、
多様性のあるNY、LAでの生活を通して、
違いを受け入れ認め合うことの大切さを感じたそう。
「自分のアイデンティティを突きつけられたというか。
 今でも、会社や学校で言えない人ってたくさんいると思うんですよ。
 そんな中で自分のアメリカでの経験が何か活かせるんじゃないか、
 って思ってカミングアウトしたんですよ。」
パラスポーツ応援プロジェクト『PARA☆DO!』の依頼にも、
自分にできることがあれば、と快諾されたのだとか。

三菱商事の「障がい者スポーツ支援DREAM AS ONE.」のサポーターで、
リオパラリンピック ウィルチェアーラグビー日本代表選手の         
池崎大輔選手ともお話されたという清貴さん。
「障がいといっても、いろんな方がいらっしゃるんですよね。
 先天的だったり、事故や病気だったり、人それぞれ、
 心持ちも全然違うんですよ。LGBTも一緒で。
 “人と違うことを隠さなくっちゃ”って思わないような
 世の中になっていくために、パラリンピックって大事だと思うんですよね」

パラスポーツ応援プロジェクト『PARA☆DO!』の主題歌、
”無限大∞”という清貴さんの楽曲は、
卓球の別所キミエ選手を見て生まれた楽曲です。
「いくつになっても、どんな状況でも、言い訳しないで。
 卓球をやり続けていて、自分のスタイルがあって!
 自分なんてまだまだで、夢をもらえる。」

今夜の選曲:無限大∞ / 清貴

staff| 20:48 | カテゴリー:ゲストトーク


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