2017年01月26日

食を通じた、シワ作りのプロジェクトとは?

台所研究家の中村優さんは、2012年に
『440creations』というプロジェクトを立ち上げました。

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このプロジェクトは、”食を通じたシワ作り”を行っています。
おばあちゃんのレシピ集めもその一環で、
他にも、世界で中村さんが出会った志ある生産者が
作ったモノを届ける”YOU BOX”というプロジェクトも行っています。

「例えば、スペインの回とかですと、
 美味しいゴートチーズを作っている方と仲良くなって。
 その方は、ヤギ達もハッピーな方法でチーズを作って! 
 他にも、無農薬ハーブで作られた蜂蜜とか、、、
 結構、身内完結型のBOXですね」

今月発売される中村さんの
著書『ばあちゃんの幸せレシピ』の編集は、中村さんの師匠、
たかくさ株式会社代表取締役の柿原 優紀さんが行っています。
「もともと雑誌の編集者をされていた方で、
 独立された時に出会って、何て素敵な人なんだ!と思って。
 この人のやっている事なら、何でも手伝いたい教えて欲しいと
 思って、ついていったのがきっかけです。」

また、読書家の中村さんは、最近、民藝運動の本を読み、
自分のやりたかった事そのままで驚いたそう。

今夜の選曲:YOU’RE AN OLD SMOOTHIE / ELLA FITZGERALD

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2017年01月25日

就職後2ヶ月で退社!旅に出て考えた、世界に向けて自分が出来る事は?

40creations の主宰者で、台所研究家の中村優さんは、
19歳から旅を始め、大学卒業後に
コンサルタント会社に就職されますが、2ヶ月で退社されます。

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「まだ当時は若かったので、”自分の名前で何かしたい”っていうのが
 大きかったんでしょうね。会社の一員として動くっていうのが窮屈で、
 今だったらもうちょっと上手くやれると思うんですけど(笑)」

大学2年の頃、1年間アメリカとスペインを留学された中村さんは、
自分の考えが、世界のレベルと違う事を実感されたそう。

「私は当時、とりあえず良い大学に行けば、良いところに就職出来る、 
 みたいな日本の考えだったんですけど。
 その時、”大学の名前が無くなったら、中村優として何がしたいか”
 というのを、正直考えられて無かったなって。」

その後、助成金で一ヶ月NYに滞在。社会起業家を取材したものの、
自分には”起業するための原体験”が無い事にも気づかされたそう。

「私は何だろうと考えて、ラオスとかカンボジアに行ったんですけど。
 行けば行くほど、その地域の方々の、
 ”目の輝き、笑顔の素晴らしさ”が何より印象的で、
 『ここに自分の出来る事が無いな』って思ってしまって。」

そこで、人を笑顔に出来、自分にも出来る事である、
”料理”を中村さんは思いつき、美味しいものを作ろう!と思ったのだとか。

今夜の選曲:DEED I DO / ELLA FITZGERALD

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2017年01月24日

世界で出会った可愛いばあちゃんと、思いが詰まったレシピ。ばあちゃんの探し方とは?

40creations の主宰者で、台所研究家の中村優さんは、
著書『ばあちゃんの幸せレシピ』を今月発売されます。

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中村さんは、海外だけでなく
日本の地方料理にも興味をお持ちです。
「私にとっては、日本だろうが海外だろうが、
 やっている事は同じで、地方に良いところがいっぱいあるし、
 見るもの全てが新しい!みたいな事も多くて。」
日本では、270人ほどの村に行き、
初めて知る習慣に出会うなど、感動する体験をしたそう。

ポルトガルでは、たまたま寄ったレストランで
パスタのデザート=アレトリアにも出会った中村さん。

このアレトリアは、お店を始めたおばあちゃんが、
”何も無い場所でも、クリスマスくらいは子供達に楽しんでもらいたい”
という思いで作った、この地域に伝わるレシピです。

「甘く煮たあと固め、シナモンをふりかけて頂くんです。
 結構美味しくて、何より、ばあちゃんがその物語と一緒に
 可愛く作ってくださるのが素敵で。そんな出会いから、
 もしかしたら、ばあちゃんのレシピって、
 クリエイティブなんじゃないかな?って思ったんです。」

ばあちゃん探しは、同世代を探す事から始まります。
「話が出来る同世代を見つけて、
 その同世代のおばあちゃんを探すっていうのが1番です。
 行き先は、ここ、というのは無いので、色んなところに行きますね」

1年半ほど、色んな人の家を転々としていた経験を持つ中村さん。
顔に表れる性格を察知する能力のがあるからこそ、
危険察知も可能なのかもしれません。

今夜の選曲:TISKET, A TASKET / ELLA FITZGERALD

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2017年01月23日

きっかけは、世界を旅して出会ったシワ!著書、ばあちゃんの幸せレシピ誕生秘話。

40creations の主宰者で、
台所研究家の、中村優さんをお迎えしています。

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40creations 』の ”40”は、なんと シワ”という意味!
「私、人のシワが大好きで。シワは、年輪のように、
 どんな風に生きてきたかが培われている。
 そこで、良いシワを作るプロジェクトをしていこう、というチームで、
 40 creationsというのを作りました。」

中村さんの著書『ばあちゃんの幸せレシピ』が、
今月、木楽舎より発売されます。
この本は、中村さんが3年ほど世界を旅されて
出会ったおばあさんの人生と、自慢料理の話で構成されています。

「シワが好きで、ばあちゃんに会い始めたのがきっかけです。
 世界中のばあちゃんの話を、料理をしながら聞いていたら、
 人生において色んなヒントがあって。私の3年間の成長過程とともに、
 そのばあちゃんの出会いの話を綴りました。」

現在でもブティックをされている
中村さんの”おばあちゃん”から、
『人生はなるようにしかならない』と
教えられたことが、今の中村さんの生活に影響を与えています。

今夜の選曲:SWINGIN’ SHEPHERD BLUES / ELLA FITZGERALD

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2017年01月20日

1月23日から27日は、

40creations の主宰者で、
台所研究家の、中村優さんをお迎えします。

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笑顔と料理、著書『ばあちゃんの幸せレシピ』のお話など
たっぷりと伺います。

■プロフィール■
1986年生まれ。
学生時代から世界を旅するようになり、
これまでに訪れた国は35か国以上。
大学卒業後は、昼は編集プロダクション、
夜はレストランで働き、2012年に独立されて、
『40creations』というプロジェクトをスタートされました。
現在は、東京とバンコクを拠点に活動していらっしゃいます。

staff| 20:52 | カテゴリー:ゲストトーク

2017年01月20日

アラブ音楽の魅力。歌で世界に出来ることとは?

シンガーソングライターyaeさんは、
シリア難民救済のためのチャリティソングを
アラビア語で先日レコーディングされました。

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「うちの母が小さい時から、
 世界の音楽を聴かせてくれていたからか、
 前世アラブ人だったのかな、と思うほど、
 アラブの音楽がすごく好きなんです。」
そんな中、シリア内戦が激化。
悲惨な街の状況を見ていたyaeさんは、
日本の楽曲”椰子の実”を、アラビア語で歌う事を思いつきます。

「なんで恨みをもったり、殺してしまうのだろうって。
 音楽って、そういった気持ちを抑えるような、
 心のケアにならないだろうかって。
 シリアの方に発音を1つ1つ教えてもらって、作りました」
南房総にスタジオを持つ、プロジェクト:MONK BEATと共に
クラウドファンディングで資金集めを行い、完成しました。

「子供達の未来に、これを送りたい、っていうことで、
 収益を持って、12月にヨルダンまで行ってきました。
 アラビア語、感動してくれました!日本人がアラビア語を
 しゃべるだけでも感動してくれるんですけど(笑)
 私にできること、なんだろうって、いつも思って、
 歌をうたうことを大切に使っていきたいなと思います。」
シリア支援CDの購入は、こちらから

15周年を終えた2017年のyaeさん。
今後も美しい歌声で、世界を歩き思いを伝えていきたい、と
思いを語ってくださいました。

今夜の選曲:椰子の実 / YAE (みんなで作るシリア展)

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2017年01月19日

半農半歌手とは?ついに実現した、田んぼでのレコーディング!

シンガーソングライターyaeさんは現在、
鴨川自然王国に移住され、”半農半歌手”という
ライフスタイルを実施されています。

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塩見直紀さんが提唱されている
“半農半x(エックス)”は、農業をベースに暮らしながら、
自身の職をして社会と関係を持つというライフスタイルです。
お金だけではない、“豊かな暮らし”を求める人が増える中、
yaeさんも、”半農半歌手”に転換しました。

「半農半歌手っていう生き方って、
 すごく豊かだなって、今は実感としてあるので。
 家族といる時間もあるし、食べるものを買い物カゴ下げて畑に行って。
 そういうことって、すごく贅沢だなって。
 都会に暮らしていたかもしれないんですけど。」

田んぼでレコーディングをしたい!と思ったyaeさんは、
“Love Farmers, we are” という作品を完成させました。
「”土の上で作りたい”っていうのが
 可能な時代になってきてて、ポータブルの録音機持ってきて。
 一般の方も30人くらい参加してくださって、
 みんなでコーラスして、めちゃめちゃ楽しかったですよ!
 ここには、音楽の原点があるんだなって。」

さらに、yaeさんは、イベント”種まき大作戦”
2007年より開催されています。
「ちょっと農業やってみたいなっていう若者たちと一緒に、
 棚田チャレンジとか、酒米チャレンジとか、手前味噌チャレンジとか
 とにかく楽しくやろう!っていう運動のようなものです。
 その、1年の1回の収穫祭が、”土と平和の祭典”です。」
”土と平和の祭典”は、昨年日比谷公園で3日間開催され、
およそ3万人の来場者が集まり、大きなお祭りになっています。

今夜の選曲:LOVE FARMERS , WE ARE / LOVE FARMERS

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2017年01月18日

都会育ちだからこその、自然への憧れ。

シンガーソングライターyaeさんは、
東京生まれ、東京育ちの都会っ子です。

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「だからこそ逆に、自然に対する憧れがあったと思うんです。
 最初に父が、千葉県鴨川市の
 里山に連れてってもらった時興奮しましたね!
 本当、トトロの世界ですよね。東京ではできない。」
“大山千枚田”が有名な千葉県鴨川ということもあり、
雨の水だけで育てる、天水棚田米というお米を作られています。

「とにかく、里山の農業って、こんなにも大変なのか!って
 10年目やってみて、感じています。今イノシシも大変だし、
 鹿も近くまで来ていますね、、、里山で唯一のたんぱく源を得る
 狩猟文化が本当に減ってて。何が起こるか分からない時代に入って、
 自分の手で食べるものを確保していくって大切なことだと思います」

食料、燃料、井戸水など、生きるためのものが揃う里山を、
yaeさんは” シェルター”と例えます。

今夜の選曲:花よ風よ / YAE

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2017年01月17日

15周年で変化した歌のあり方。母との共作や、カバーに込めた思いとは?

シンガーソングライターyaeさんは、
デビュー15周年の節目にアルバム
『alive〜今ここに生きている』を発売されました。

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「”歌”って、年輪のように蓄積されて、
 いい歌えるようになるっていうのは、
 いろいろ経験してこそだ、って思うんですよね。」
飯舘村の親善大使も務めるyaeさんは、この15年間、
人はななぜ生きるのかと、悩み、迷ってきたそう。
ですが、そんな悩みをすべて開放したのが、このアルバムです。

アルバム『alive~今ここに生きている』の中には、
お母様で、歌手の加藤登紀子さんとの共作曲
”名も知らぬ花のように”も収録されています。

さらには、松山善三さんが作詞し、美空ひばりさんが
第1回 広島平和音楽祭で歌った”一本の鉛筆”のカバーも。
「広島の市民の方々が立ち上げたお祭りに呼ばれた時に
 “yaeちゃん、これ歌ってみてよ”って言われて。
 素直な言葉で語られている曲で、今、すごく大事で、
 キーワードな気がするって思ったので、
 15周年で収録させていただきました。」

今夜の選曲:一本の鉛筆 / YAE

staff| 20:48 | カテゴリー:ゲストトーク

2017年01月16日

幼少期の思い出と、両親から受けた影響の数々。

シンガーソングライターyaeさん
お母様は、以前LOHAS TALKにもご出演頂いた
歌手の加藤登紀子さんです。

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ご実家では、BEATLESと世界の民族音楽が
朝から流れる生活だったそう。
「耳って、全部入ってくるんですよね。
 自然と小学校1年生くらいから蓄積されて、
 いろんな国の音楽が混じりあった歌が出てくるようになって。
 今、自分の中で財産になっているかな、と思いますね。」
ただ、歌手だけにはなりたくない、農業だけはしたくない、
と思いながら過ごしていたそう。

お父様は、学生運動の指導者の藤本敏夫さん。
食の安全を追求され、家族を連れて鴨川に住むことを決意!
”大地を守る会”の設立に繋がっていきます。
「でも母はまず拒否、というか、待って、という感じで(笑)
 美味しくって、ちゃんと安全な物を食べたいよね。って。
  ますます食の安全が叫ばれて、何が一番信用できるかっていたら、
 自分で種をまくっていうのが美味しくて安心ですよね。」
2005年ごろには、yaeさんも鴨川移住し、
現在は家族とともに、農業に従事されています。

今夜の選曲:土に帰る / YAE

staff| 20:48 | カテゴリー:ゲストトーク


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