ユナイテッド・ピープル株式会社代表取締役、関根健次さんをお迎えします。
1976年神奈川県生まれ、アメリカのベロイト大学経済学部を卒業され
食品会社、IT会社での勤務を経て、
2002年にダ・ビンチ・インターネット有限会社を設立、
2007年に、ユナイテッドピープルと社名を変更され、
世界の課題解決を事業目的し、映画事業にも
参画されていらっしゃいます。
ユナイテッド・ピープル株式会社代表取締役、関根健次さんをお迎えします。
1976年神奈川県生まれ、アメリカのベロイト大学経済学部を卒業され
食品会社、IT会社での勤務を経て、
2002年にダ・ビンチ・インターネット有限会社を設立、
2007年に、ユナイテッドピープルと社名を変更され、
世界の課題解決を事業目的し、映画事業にも
参画されていらっしゃいます。
株式会社サティスファクトリー、代表取締役会長
小松武司さんをお迎えしています。
--小松さんがサティスファクトリーを作られたのは、
1996年の11月。今年で24年になります。
一般の方の環境問題に対する意識の変化などは
ありましたか?
小松「みんなほんと知識を持っていますよね。
知識だと僕より持っているけど、解決への一歩を
踏むことが出来ずにフラストレーションを
溜めていらっしゃる方は非常に多い。
その一歩を踏んでもらうことが重要だというのは、
わかっていると思うんですが、自分のプライベートな
生活で少し変えてみたり、ミニマリストのように
生活を簡素にして過ごしている方は多いですよね。
でも、他の人への影響を与えるようなモデルは
極めて少ない気がしています。そこを大事にして、
先鞭を切ったという感覚はありますね。」
小黒「聴けば聴くほど、ゴミ処理のマネージメントから、
企業の課題解決まで出来そうな会社になってますね。」
小松「本当に色々やらせてもらっています。
中に入って、廃棄物を見させてもらうと、
いろいろなことがわかります。
これだけ、リサイクルって言われている
世の中なのに、リサイクルから置き去りに
されたような素材が山のようにある。
『リサイクルすると安くなるんでしょ?』
みたいな誤解もある。リサイクルって、
企業が払わなきゃいけないコストであって、
安くなるからやる物ではない。
未来に払うべきコストを今、やっておこう、
ということをしっかりやると。」
――小松さんはSDGsについて、どうお考えですか?
小松「幅は広いですが、全部正論ですよね。
正論なのでみんなやりたいし、これは
正しいねとしか言いようがない。
だけど、一歩、打てる手を誰かが
考えていかないといけない。
その手を、1人ずつ…1社ずつが考えていく。
自分のできることをやるというのが、
重要じゃないですかね。」
株式会社サティスファクトリー、代表取締役会長
小松武司さんをお迎えしています。
――昨日に引き続きサティスファクトリーが完成させた
「FUROSHIKI」について伺っていきます。
小松「99%ストレッチフィルムから、
一度使った物のゴミから作り出した
ゴミ袋ができました。
45L、70L、90L、業務用の120Lまで
あるんですが、それぞれによって
CO2の削減トン数があるんです。
45Lは一箱で500枚入ってるのですが、
これで30キロのCO2を削減できる。
もちろん、大きな会社からすると
小さい量だと思うんです。
でも、こういう取り組みって小さいものを、
積み上げていくことでしかなし得ないんです。
だから、毎日使う新品のゴミ袋を、
FUROSHIKIに変えてもらうだけで、
CO2が明らかに削減できます。
この商品以外には99%再生材を使った
商品は他にはないです。」
――『FUROSHIKI』の開発までには
どんな苦労があったのでしょうか。
小松「99%のクオリティでものを
作るというよりも、その入り口と
出口をしっかり作っていないとできない
ことなんですよ。
ストレッチフィルムというゴミをしっかり
集めて、それを物流で拠点にまで集積して、
加工委託をする。
逆にそれを販売できなければ、作ることなら
誰でもできる。環境についていうことはできるけど、
現実の一歩は誰でも踏めない。
その部分で入り口と出口をしっかりと、
抑えた仕組みを作るのは難しいところでした。」
今夜の選曲… SUMMER PLACES / SAM PREKOP
株式会社サティスファクトリー、代表取締役会長
小松武司さんをお迎えしています。
――『ゴミになるものを、新品で作っている』という意味とは…?
小松「実は、巷に出回っているゴミ袋を
手にしてみてみると、100%リサイクルと
書かれているものが多いんです。
でも、それはプラスチックの業界の慣習で、
新品の原料でも「オフグレード」という商品があります。
これはグレードが低いという意味での、
言葉ではなくて『再販売された新品は、
オフグレードと呼んでいい』という、
世の中の人が聞くと不思議なケースがあります。
それを使わないと、リサイクルという風には
言えないので、リサイクル100%と呼んでる
商品は実はオフグレードばかりを使っている
というのが見えてきました。」
――ゴミ袋問題の解決に乗り出し完成したのが、
「FUROSHIKI」という名のゴミ袋!こちらについて、
伺っていきます。
小松「いわゆるゴミだったもの。
物流の倉庫や、商品を荷崩れしないように、
巻いていたストレッチフィルムというものを
関東圏からかき集めて、作っています。
今は月量で34トン集められていて、
9月には100トンを目標にしています。
99%ストレッチフィルム……1回使った
ゴミからできたゴミ袋です。
商品名の『FUROSHIKI』は日本はそもそも
循環型経済だったところから着想を得ています。
日本のその文化は、丁寧に分別につなげたり、
ゴミも大事に扱うことによって
再利用がたくさんできる。
その象徴的な名前として
この『FUROSHIKI=風呂敷』を
活用させてもらっています。」
今夜の選曲… PARALLELS / SAM PREKOP
株式会社サティスファクトリー、代表取締役会長
小松武司さんをお迎えしています。
――まず、株式会社サティスファクトリーの環境問題の
解決事業のひとつ、「廃棄物のマネージメント」
あらためて どういった事業なのでしょうか?
小松「いろんな企業全て、活動しているとゴミが出ます。
全てのゴミを適正に処理しているかというと、そうではない。
わからないのに、普通に処理してしまっている。
それを企業が今、環境問題やリサイクルなどに、
取り組もうと思っても、専門的な領域なので、
ほとんどできない。また、コストも削減していかないと、
コスト負担だけが嵩んでいっても仕方がない。
それを、サティスファクトリーが、
マネージメントするという役割を持っています。」
――7月1日からレジ袋が有料化になりました。
小松さんから見て、どうお考えですか?
小松「レジ袋の有料化自体はやるべきだと思っています。
ただ、エコバックを20個とか持つのは違うと
当然思っていて。それ以外にも、
有料化を無料にする政策もありますよね。
バイオプラスチックなのか、混合型にしているのか、
それが植物性由来なのかとか、生分解性のものを
25%以上混ぜれば無料でプレゼントできる、
となっていますが、
これは混ざっているだけですからね。
1000年経って分解しないプラスチックが、
25%混ぜているから、25%の年数が減るという
話ではない。分解しないで残り続けるので
海洋プラスティック問題は解決しないですよね。
化石燃料を使っているプラスチックがその分、
残っている。75%が新しい原料で作られている。
それは環境的にもいい話ではない。
有料化は徹底的にして、本当は百円でも取っちゃえばいいんです。」
今夜の選曲… COMMA / SAM PREKOP
株式会社サティスファクトリー、代表取締役会長
小松武司さんをお迎えしています。
小松さんは1965年広島県生まれ、専修大学商学部卒業後、
(株)イトーヨーカ堂、フェニックス観光株式会社を経て、
96年 株式会社サティスファクトリーを設立。
環境をテーマに社会問題を解決する
リーディングカンパニーとして活躍されています。
絵本作家でイラストレーターの松本春野さんをお迎えしています。
――松本さんは、会津と東京の2拠点生活をされています。
松本「地方でバブルの頃に建てられた別荘なんかが、
だいぶ値段が下がってきて、ローン組まなくても買える
ようなお家も結構あるんです。
会津に住もうと思ったきっかけは、
東日本大震災の時に、福島の絵本を作ったんです。
※岩崎書店『ふくしまからきた子』
最初は思い込みの部分も多く、
原発事故の衝撃もあり、負の側面ばかりを
追いかけてたんですが、取材の中でだんだん
被災地だった場所が被災地でなくなっていく
過程や、放射能などの科学的な理解も深まって
シリーズで絵本を作るようになったんです。
私が子供の頃に長野県黒姫という場所に、
いわさきちひろが残した山荘があって、
夏はそこで過ごしていたんです。
側には野尻湖もあり、山もあり、スキー場もあり、
そうした時の思い出が猪苗代に行った時に、
蘇ってきたので『こういう場所で仕事が、
できたらいいな』と思ったんです。
今夜の選曲… LET ME BE THE ONE / CARPENTERS
絵本作家でイラストレーターの松本春野さんをお迎えしています。
――絵本『まほうのおまめ だいずのたび』は、
松本さんが絵と文を描かれ、
料理家・辰巳芳子さんが監修、
全国の小学校3万人に広がる
『大豆100粒運動』についての
想いや、3年生の国語教科書
『すがたをかえる大豆』の
参考資料になるデータも掲載されています。
松本「このお話をいただく前は、
大豆に取り立てて興味があったわけでは
ないんです。でも、プランターで育てられるし、
こんなに手軽に食べものを育てることができる
というのは、自信に繋がりました。」
――最近のお仕事としては、『おやこでよもう!
金子みすゞ そらの のはらの まんなかで』が
3冊シリーズで出版されています。
松本「出版業界は、たくさん出さないと…
子供と生きていくためにも、しっかり働かないと。
仕事が来るとほんとありがたくて。」
今夜の選曲… IT'S GOING TO TAKE SOME TIME / CARPENTERS
絵本作家でイラストレーターの松本春野さんをお迎えしています。
婦人之友社から発売されています絵本
「はなちゃんとぴかりん ぴかぴかだいさくせん」
について伺っていきます。
〜あらすじ〜
元気いっぱいの小学生はなちゃんの“つくえ”が
ある朝、家出してしまいます。しょんぼりしている
はなちゃんを助けてくれたのは、妖精のぴかりん。
つくえピカピカ大作戦の始まりです––
(婦人之友社HPより抜粋)
--この本は松本さんが絵を描いて、整理収納アドバイザーの
井田典子さんが文を書いています。
小黒「このお話を気に入ったのは、
松本さんの小さい頃の体験に近い世界だからですか?」
松本「優等生を描くよりかは、
ガチャガチャバタバタした子の方が、
自分の体験も含め実感としてあるので、
表情とか仕草を描きやすいです。
私自身もとっても片付けが苦手でしたし、
今も机が大変なことになっていて、
娘からも絵本になぞらえて、
『つくえくんが家出してしまうよ?』と
言われています。」
小黒「これボクも読ませてもらって、
不思議だったのが、公園の端っこに逃げた
机をどうやって家に持ってこれるの?」
松本「それは“ぴかりん”という妖精がいるんですよ!
妖精の力なくして机は移動できないです。」
小黒「私は、今コロナとかで気持ちが
落ち込んでいるのかファンタジーが読み取れ
なかったね…」
松本「ずいぶん凝り固まった層の人たちとしか、
一緒に仕事してらっしゃらないのかもしれないですね。
幅広い世代と是非接してください!」
小黒「ボク自身も結構ダメージ受けてるんだな…
夢みがちなところがゴッソリ抜けてたということが、
おかげでわかりました。」
今夜の選曲… TOP OF THE WORLD / CARPENTERS
絵本作家でイラストレーターの松本春野さんをお迎えしています。
松本春野さんは絵本作家の
いわさきちひろさんのお孫さんです。
実際に、いわさきさんと会ったことはないとのですが、
幼少の頃から「ちひろ美術館」で過ごされました。
松本「絵は好きだったし、大学受験の時、
基本的に油画科って何でもやっていい科と
予備校で言われていて、
入ってから自由にクリエイティブなことで
あれば方向性を選べるという話だったので選びました。
勉強でみんなと競争するより、絵を受験勉強として
やる方が頑張れる気がしたんですよね。」
--大学在学中には、ロンドンにも留学をされました。
実は、計算された理由があったとか。
「親が絵で食べていくなら、最後は学位を持ってれば、
どこかの非常勤講師で呼んでもらったりする…
ということで、学歴があった方がいいと言われてたんです。
で、ロンドンに行ってみたら、お金を
引き出すばかりの生活が心苦しくなってきて……
大学院すごくお金がかかるのに、
そこで学んでどれだけのものを持ち帰られるのか
というのを思った時にちょっと
尻尾巻いて帰ってきてしまいました。
でも、その時自分が好きだった絵本作家に
手紙を書いて、会いに行ったりとかしていました。
イギリスではジョン・バーニンガムと
ヘレン・オクセンバリーのご夫妻に
会いに行けました。
チェコでは現代美術もやっている
クヴィエタ・パツォウスカーに
会いに行ったりしました。」
小黒「手紙書いて私は東京から来た
こんなやつだと言っても会ってくれるの?」
松本「それは……コツがあります。
完全に虎の威を借る狐状態なのですが、
私が生まれ育ったちひろ美術館では、
世界の絵本画家の原画もコレクションしているので、
みんな私を悪いようにはしないんですよ。
ずいぶん良くしてくださる方もいて、
それはとてもありがたかったですね。」
今夜の選曲… PLEASE MR.POSTMAN / CARPENTERS
株式会社ニキシモ代表取締役 北山実優さんをお迎えしています。
北山「自然がすごく美しいところで、
いらしていただいたらいつもの生活とは
違った自然のリズムを感じていただいて、
五感を開いて手を使ったり、いろいろな
感覚を使ったりして過ごしていただきたいな、
と思っています。
今回、伴茂さんも「マザーテレサ社会正義賞」
という賞を受賞されましたし、
石上純也さんも「オベル賞」といって、
「水庭」が評価されて、建築の未来の道筋を
再定義できるアイデアだということで
受賞されたのですが、私たちも
リゾートというものがなんなのか、再定義しながら
作り上げていきたいなと思います。」
――北山さんが一番好きな季節は?
北山「やっぱり夏前ですね。
暑くもなく寒くもなく、すごく爽やかで
緑も美しく気持ちいい。後は秋ですね。
10月は秋らしい季節ですし、11月は
紅葉がすごく美しいです。
――そして、スイートヴィラが10月にオープンになります。
北山「7月26日にプレオープンで、10月2日に
ヴィラとレストランがオープンします。
レストランはシェフが皆20代で、若手シェフの
チームで作っていて、土地の食材の可能性を
引き出すということで企画中です。
地元の方々の作られた食材を使って、
栽培方法にこだわりを持っている農家さんと
契約したりしています。」
今夜の選曲… O AMOR EM PAZ(ONCE I LOVED)/CANNONBALL ADDERLEY
株式会社ニキシモ代表取締役 北山実優さんをお迎えしています。
--毎年開催されている「山のシューレ」とは?
北山「自然の中で老若男女、様々な人に来ていただいて、
ワークショップや座学講座、食の体験を通して、
自然と人とのあり方を再度考えていこうという
思考の場所…山の学校ですね。
私は企画の時点から、生徒のように、いろんなことを
学ばせていただきました。
10年間は校長先生として東京芸大の、
伊藤俊治先生に勤めていただいて、
受講しながら、裏方しながら学んでいました。」
--ゲストに学んでもらう…というニキシモの姿勢は
どこから来ているのでしょうか?
北山「このリゾートはハウスキーパーから、
料理人から、デザイナーから、みんなが
この場所を作っています。
働く人たちも、心をゼロにして学んで、
対話をしながら作っていく。
ソコに最後にゲストの方に来ていただいて、
また対話が生まれて、その場所が生まれる。
そういう意味では、常にインスピレーションを得ながら、
学びながらその場所が実現されるということ
なのかなと思っています。」
今夜の選曲… AQUI,OH! / TONINHO HORTA
株式会社ニキシモ代表取締役 北山実優さんをお迎えしています。
--アートビオトープ那須について詳しく伺います。
「アート…芸術と、ビオトープ…苗床という意味の
造語なんですけれども、
「ワークショップレジデンス」学び型のリゾート、
ということで様々な工房体験。
手工芸ですかね、染付けやコラージュ、
ガラス、陶芸などを体験しながらステイして
いただけるというコンセプトでやらせていただいてます。」
7月からレストランのメニューを
武蔵野美術大学の教授だった新見隆先生に
監修していただいて小説とかに出てくる
風景と共にメニューを紹介するという形をとってます。
例えば、武満徹さんのキャベツスープとか、小説と
共に紹介しています。」
--アートビオトープ那須で、なんと言っても圧巻なのが、
敷地内に完成した「水庭」です。
北山「これは建築家の石上純也さんにお願いして
作った庭で、面積が5000坪で木々318本を
立木で一本、一本移動してその間を池で
繋いでいるというユニークな庭です。
水は、近くの川から引っ張っています。
行っていただくと、フラットに見えるんですが、
緩い勾配があって、その高低差を利用して、
地下に敷き詰めたパイプを通って、
水が川に戻るような仕組みになっています。」
--名だたる設計者が参加していますが、
今度、敷地内にできる新しい「ヴィラ」には、
伴茂さんが設計に携わっています。
北山「一つ一つ独立型の、コテージスタイルに
なっているんですが、15棟で木造です。
1棟60平米くらいで「スイートヴィラ」と
呼んでいます。
今もステイしているお客様は、自然を
満喫しながら、ゆっくりされているんですね。
いつもお忙しくされている方に、来ていただいて
アートとか、自然とかに触れて“浄化”する
そういうのを楽しんでいただけるお客様に
来ていただきたいなと思います。」
今夜の選曲… NORTHEAST WIND / NANDO LAURIA
株式会社ニキシモ代表取締役 北山実優さんをお迎えしています。
北山「ニキシモの“ニキ”は母の会社、
二期倶楽部から取りまして、シモは
イタリア語で「とっても」という意味から取りまして、
そちらを使っています。
2016年から私が代表を務めさせていただいています。
二期倶楽部は、栃木県那須郡那須町高久乙道下にありまして、
アートビオトープは道上という地名にあります。
駅からはシャトルバスで30分くらいかかります。
アートビオトープ那須の「水庭」が5000坪、「工房」が
小さめですが、ホテルエリアが5000坪なので10000坪と
ちょっとの広さになりますね。」
小黒「以前、福岡伸一さんが行きたいといって、
二期倶楽部に取材させてもらいましたが、
隣の平成の森という御用邸を散策していました。
あれは天皇家のお庭だったんですか?」
北山「大将時代に昭和天皇が自然を保護されて、
研究をしていた森で、
今は一般公開もされています。」
今夜の選曲… WE'RE IN LOVE / REUBEN WILSON
株式会社SMALL WORLDS代表取締役社長 近藤正拡さんをお迎えしています。
――SMALL WORLDSのコロナウイルス対策について伺いました。
近藤「まずはなるべく入れないという考えで、
入り口にサーモグラフィーで体温検査と、
ディフェンダーXという、空港の入管を想定した
手続きのシステムを導入しました。
とは言っても、自覚症状がない方が入ってくるので、
中ではとにかくアルコール消毒をしてもらおうと。
少しでも手すりを触ったらアルコール消毒、と
なっていただきたいので、館内に約50個の
アルコール消毒器を置いています。
さらには、湾岸エリアの倉庫ですので、
扉を開けるだけで結構な強風が通るんです。
これまでの施設にないくらいの換気ができるかなと。」
――今後のSMALL WORLDSの楽しみ方を伺いました。
近藤「今はまだ館内レストランの営業は
18時までなのですが、目指しているのは
夜のエンターテイメントですので、
夜お酒を飲みながら、食事を楽しみながら
ミニチュアを楽しんでいただく。
そういう意味では、飲食とミニチュアは
セットなのかなと。」
--今後は、沖縄。そして世界にも展開していく計画が?
近藤「ミニチュアの生産能力が、いま東京で展示しているものを
1年間で作れるほどになっています。
なので、作り続けていけば1年間で、
1拠点ずつ展開ができるわけなんです。
例えば、東京で必ず新しいものを展示して、
東京の古いものを海外に輸出していくんです。
エヴァンゲリオンのエリアも、何年東京で
展示できるのだろうと…。
そう考えていくと、意外と展示期間は短いんです。
すぐ海外に輸出して、次、新しい日本の
コンテンツのエリアを展示する…それを
考えていくのが私たちのプロジェクトです。」
小黒「世界に冠たるアニメ文化だけだと思ったんだけど、
このミニチュア文化も、日本はこういう小さい物作りは
十八番だもんね。」
今夜の選曲… THEME FROM A SUMMER PLACE / SKETCH SHOW
株式会社SMALL WORLDS代表取締役社長 近藤正拡さんをお迎えしています。
――元々金融やネットワークの仕事に携わってきた
近藤さん。そもそも、どういうきっかけで
この分野へ進まれたのでしょうか?
近藤「東京ディズニーランドを誘致して
総合プロデュースした堀貞一郎という方に
出会ったのが一番のきっかけだと思います。
元々は電通にいて、大阪万博でいくつかの
パビリオンをプロデュースされていました。
それを見たディズニーの関係者が堀さんを
ディズニーへ招こうとした…そんな方です」
小黒「その人から何をインスパイアされたんですか?」
近藤「エンターテイメントに向き合う考え方ですね。
『こういうのが流行っている』ではなく、
『人が何を求めているか』をきちんと分析していた。
彼はエンターテイメントを『緊張、弛緩、充足、発散』
という4軸で捉えていました。
日本のテーマパークの殆どが”緊張”させて”発散”させる。
スリルライドや辛いものを食べにいったりと、
そういう方向に向いているものが多い。
一方、ヨーロッパのエンタメというのは”充足”からの
”弛緩”。リラックスしながらも、心の拠り所に
なるというエンターテイメントが存在すると。
『これを作っていくのが次のエンターテイメントなんだ』
と、おっしゃっていたときに、この考え方は、
確かにアリだなと思いました。
彼の資料整理を手伝っていくようになっていた時、
「SMALL WORLDS」の企画書を見てしまうんです。
元々1970年代に、原型の企画はできていたんです。」
――「SMALL WORLDS」を立ち上げる経緯にも、
堀さんの考えが?
近藤「投資家から集めていくんですが、
ここにも堀貞一郎さんのこだわりがあって、
ファンドをあまり入れないという考えだった。
『一緒に事業を作っていく仲間を株主にしなさい』と。
この宿題がものすごく大変だったんです。
2009年から活動開始して、調達できたのが
2016年なんですね。ものすごい時間をかけて
仲間同士を集めた結果が、今の株主陣になっています。」
今夜の選曲… RESCUE / HASYMO
株式会社SMALL WORLDS代表取締役社長 近藤正拡さんをお迎えしています。
――「SMALL WORLDS TOKYO」を
支えるスタッフとは一体どんな人達なのでしょうか?
近藤「狙ったわけではなく、日本の各メーカーで
エンジニアをやられていた方々が転職されてきて、
第2の人生を模型作りに捧げたという、そういう
チームになっています。
総合監督を務めているのは、
TVアニメ「マクロスシリーズ」の総監督を
された河森正治さんなんですね。
河森さんが企画をかんがえ、それを日本の技術で
生み出している…そんな組織です。」
――ゲストと一緒にミニチュアの物語を
作り上げていく…というコンセプトがある、
この施設では、円筒形のカメラを使って、
自分のミニチュアを作り、さらに好きなエリアの
住人になることも!近藤社長のミニチュアも
施設内の各所に置いてあるとのことです。
近藤「住民権というプログラムになっていまして、
エリアによって値段が違います。
ミニチュアがおけるキャパシティがありますので…。
我々が独自で作っている世界の街というのは魅力が
伝わるまでに時間がかかる…そういう意味で
値段が分かれているんですね。
世界の街エリアだと年間パス付きで1万2千円台、
人気の美少女戦士セーラームーンや、
エヴァンゲリオンのエリアだと、パス付きで
2万円弱となっています。」
今夜の選曲は… ATTENTION TOKYO / SKETCH SHOW
株式会社SMALL WORLDS代表取締役社長 近藤正拡さんをお迎えしています。
――先月、有明にオープンした世界最大級の
屋内型ミニチュア・テーマパーク
「SMALL WORLDS TOKYO」とは…?
近藤「総面積約8000㎡の展示施設で、
ミニチュアのサイズが約80分の1。
最大の特徴が各エリアでミニチュアが
動くということですね。
今は6つのエリアを展示しています。
さらに、この後沖縄の首里城のエリアを
作っている過程を見せながら、運営をしていく
ところです。」
――80分の1という基準はどうやって決めたのでしょう?
近藤「世界的にはHOスケールと
と呼ばれる87分の1の鉄道模型とか
が有名なんですが、欧米人の身長に対して、
日本人だと80分の1くらいに合わせると、
スケール感があってくるんですね。
本当はもっと大きくしたかったですね。
(施設で動いている)あの大きさの車を
動かすのって、ものすごく大変なんです。
車は全部チップセットから開発して、
特許出願までしている技術の塊なんです。」
――臨場感のある“音”のこだわりとは?
近藤「音は、技術者が作っているんですが、
関西国際空港エリアは現地で音を録ったりしています。」
小黒「あそこ行って僕が感じたのは、人間って
耳で想像力がすごくかき立てられるんだなって
思いました」
近藤「その通り、鋭いですね。
これから、第三線東京市エリアで
やろうとしているのは、音だけで
エヴァンゲリオンが動いているとか、
飛行機が飛んでいるとかそういうものを
追加していくんですね。
音だけで楽しむこともできる様な施設も
目指しています。」
今夜の選曲… THE CITY OF LIGHT / HASYMO
株式会社SMALL WORLDS代表取締役社長 近藤正拡さんをお迎えします。
愛知県出身 青山学院大学 国際政治経済学部卒業後、
三菱信託銀行受託財産運用部門投資企画部を経て、
ヤフー株式会社モバイル戦略室長。
(株)WILx(World Innovation Lab)に参画され、
2016年11月 にSMALL WORLDS
代表取締役に就任されていらっしゃいます。
プロサッカー選手でNPO法人「Pass on」代表理事の中町公祐さんをお迎えしています。
――アフリカの貧困地域へも行かれている中町さん。
その状況を見てどういった支援が必要なのか、
伺いました。
中町「難しい質問ですね笑。
教育の支援と、物資の支援…
それらをバランスよく行かなくちゃ
いけないなと思っています。
ただ、僕も一生アフリカにいられるわけでは
ないので、今考えている中では、
成功例を作る。
こういうことをしたら、こういうことが
できるんだよ、という前例…
トップの人間を作ることによって、
下が底上げができるかと思っていて。
というのも、ボールを配りに
行った時に、子供たちの将来の夢を聞いたら、
ほとんどの子供が『夢がない』と答えたんです。
ザンビアに行って思ったのは、
『夢をもつ裕福さ』もある。
日本だったら、サッカー選手になりたい、
で、サッカー選手がダメだったら弁護士に
なりたい…と夢ってスライドができる。
でも、僕のいるザンビアは夢というものがない。
それは身近に成功例がないからだと思うので、
それを作ってあげたいと思っています。」
今夜の選曲… IT'S ONLY A PAPER MOON / JOHN PIZZARELLI
プロサッカー選手でNPO法人「Pass on」代表理事の中町公祐さんをお迎えしています。
――中町さんはプロサッカー選手として活躍される一方で、アフリカ地域を支援する
NPO法人「Pass on」の代表理事を務めていらっしゃいます。
中町「僕がアフリカに移籍するタイミングで、
設立したのでまだ1年半くらいしか経ってません。
そもそも、「Pass onプロジェクト」という形で、
マリノス時代にサッカーボールをアフリカに送る
という活動を継続するのと、
僕は息子を亡くしているので、
その関係もあり妊産婦の方のマザーシェルターを
つくったりしています。
今、水面下で台湾の人と、靴をアフリカ全体に送ろう
というプロジェクトを進めている段階です。」
小黒「ボールをおくっていた時、途中で売り払われたり
はなかった?」
中町「多分、あったと思うんですよ。
こういう支援で難しいのは、支援した後の管理が
一番難しいと思っています。
日本からただ送るだけじゃなくて、その後を
どうするか。物資の支援でのそこの難しさは、
とても感じています。」
中町「妊婦の方への支援は、マザーシェルターといって
妊産婦さんの待機所を作っています。
まだ建設中ですが、病院へ行く際に2、3時間歩いて
検査を受けてから、まだ生まれないとなると、
また2、3時間かかる。
どこの地域にもあるんですが、
そうした時リラックスして待機できるような場所を
作ることによって生まれてくる子供が安全に
生まれてくる様にマザーシェルターを建設中です。」
小黒「一回、そうした支援をやると、
いつでもやってくれるように思われちゃうから。
ウチはサバンナでマサイの妊婦を病院へ運んだら
いつでも救急車の様に使われたり。」
中町「まさにそこですよね。ボールを一回支援
したら電話が鳴り止まなかった。
アフリカ人は、彼らの支援慣れというのは、
本当に彼が自立することが必要だと思います。
彼らの中での成功体験がないと、中々変わって
いかないなと思いました。」
――そんな経験をしつつも、アフリカとの関わりを
続ける理由は?
中町「もちろん自分の選手としてのチャレンジが道半ば
という思いも強いですが、やはりアフリカ人と
仕事をしていく上での難しさがある中で、
このNPO法人は、自分で皆さんのご支援を
いただきながら、人を助けている実感が湧くことで、
すごくいいことをしているという実感も湧いています。
なので、自分が助けたいと思ったのに、
自分が助けられている様な感覚もありますね」
今夜の選曲は… LOOK FOR THE SILVER LINING / JOHN PIZZARELLI